2020年12月号 追憶 出会いの人生に感謝  NO79

 嬉しいことがありました!ひ孫が産まれました。
72歳で ひ孫が見られるなんて 嬉しいことです。
赤ちゃんは お腹の中では とても元気で動き回ったせいか 逆子になって戻りません。予定日を待たずに 9月28日に帝王切開することになりました。
陣痛が来るのを いつかいつかとはらはらすることはありませんでしたがコロナの中 病院には 随分制限がありました。
お産の日はパパしか付き添えませんでした。コロナでなければ娘の母親はしっかり傍で励ましていたでしょうに・・・当日でさえ面会できませんでした。
次の日からは 面会は1日2時間 1人だけでした。パパも母親も毎日でも会いたいのを ぐっと我慢して 譲り合って 面会に行きました。
今はスマホで その日に写真も動画も見られるのが幸いでした。
名前は樹璃(じゅり)女の子2400グラム 二重瞼の小さい かわいい子
ラインで送ってもらった動画の泣き声を何度も何度も仏様にむけて 夫や母に聞いてもらいました。この毎日 お墓や神棚や仏様に 母子ともに無事でありますようにとお願いしてきたので このご報告です。1週間ほどで退院。今は帝王切開でも早く退院できるんですね。敷地内に娘の家がありそこに赤ちゃんを連れて里帰りです。私も毎日のぞけます。
「いい子を産めよ。見たいなー」が 夫から 孫への最後の言葉でした。
夫の写真に動画をみせて「父さん かわいい子が生まれたよ。元気な いい子だよ。よく おっぱい飲むよ」などと 話しかけています。
この2年程は 母や夫の 病気 入院 お別れと つらいことが重なっていたのに さあ この秋からは 変わりますよ!風向きが変わり 嬉しいこといっぱいの始まりだ!と思えます。

次号につづく


2020年11月号 追憶 出会いの人生に感謝  NO78

 今月は 浅井さんのお話です。私がすんごく驚いた話。本人にご了解をとったので書かせて頂きまーす。9月のラジオに出演してもらった時のお話です。
実は 浅井さんは54年前のオリンピックを目指していた人でした。
元の名は伏見公枝さん。小学校時代 体操競技を見てドキッ!
「私もあれやりたい!」と夢を持ちました。
中学 高校と体操選手で水に戻った魚のように力を発揮していました。
大会に出れば必ず優勝し新聞に載りました。面白いことに 男子は必ず他校の浅井君が優勝して 毎回二人の写真と成績で紙面をにぎわせておりました。(古く赤くなった新聞には幼い顔の公枝ちゃんと好男子の浅井君。 見せてもらいましたよ)
高校生の時 インターハイの帰りに オリンピック選手が練習する筑波大学に連れて行ってもらい練習風景を見た途端 公枝ちゃんの中に炎が燃えました。またまた夢が広がりました。「ここでオリンピックを目指したい!」
言い出したらきかない公枝ちゃん。3年生の夏から猛勉強で筑波大学目指しました。体操のためなら踏ん張れるんですねー。
みごと合格!あとは体操を頑張るのみ!夢はオリンピックです。
小さい体で頑張る頑張る!ついにプレオリンピックに出場が決まりました。
今までの努力がすべてを演技に!びっくりです!銅メダルをいただきました!金はチャフルスカ選手 銀は日本のオリンピック選手 中村多仁子さんでした。ここまで聞いて「えー! すごいー! チャフルスカ選手とー! 銅メダルー!」
私の生徒さんになって下さってから20年。一言も聞いてなーい。こんなすごい人が私の傍にいたなんてー。知らんかったー。銅メダルも見せてもらって「ちょっとかけてもいい?」ずっしりと努力の重みを感じました。興奮しました。
「あとは オリンピックですね」と私。公枝さん 苦笑い。「アキレス腱切っちゃいました」「エー!治ったの?」「ごめんなさい」とうとうオリンピックに出場は出来ませんでした。オリンピックの役員としてがんばりました。
頑張り屋の公枝さんのショックは大きかったようです。ところが くじけそうになる彼女の傍に 浅井君が寄り添っていました。華やかな自信満々の人生を頑張ってきたちょっと鼻が高くなった公枝さん。その鼻をことごとくへし折り 人生の大切なことを教えてくれました。二人は素敵な夫婦となりました。素敵なおはなしでしょ。

次号に続く


2020年10月号 追憶 出会いの人生に感謝  NO77

 今月は 我が家の愛犬 ポポちゃんとルルちゃんのお話にします。
ポポはシーズー犬 ルルはトイプードル 2頭とも約13歳。もう人間なら70代かしら。1日中ウトウトと昼寝ざんまいのぐーたら犬です。
ポポは1年程前から目が悪くなり 今はほとんど見えないらしく 短い鼻を壁にぶつけて歩いています。アトピーがあるので目が覚めればバリバリかいています。
ポポが我が家に来た理由は 実は買って1年になるシーズー犬のポポちゃんがいました。仕事から帰った私にだっこされたくて ちぎれるほどしっぽをふっているポポに「まっとてね」と言って隣の倉庫に荷物をおきにいきました。荷物をおいて倉庫から出てきた私の目の前で 犬が車とぶつかりました。抱き起してみたらポポでした。私を追いかけて家から飛び出したようです。死んだポポを抱いて泣き、写真を見ては泣く私を見かねて 母がトイプードルのルルちゃんを買ってきてくれました。少しの間はルルで気が紛れていましたが やっぱり あのシーズー犬のぽっちゃり肉付きのいい子を抱きたくて 先代のポポの弟らしい子を買いました。名前もそのままポポにしました。
こんなことで 同い年の犬が2匹になりました。

ルルは細い細い子です。3年前 なぜかわからないのですが 突然の左足のじん帯が切れぶらぶらになってしまいました。犬山の病院を紹介してもらい入院手術となりました。アルツハイマーの母にそのことを話したら「手術代 高いやろ」と母。あーまだそういうこと分かるんやーと思いながら「35万円だって」「高いねー。ルルちゃんいくらやった?」「15万円かなー」「ほんなら ルルちゃん ほかってりゃあ。又買やええで」「お母さん どういうこと言うの!可哀そうに!大事な子供やよ!」「ほんなら手術したって」そんなこんなで10日間の入院。無事手術も成功しました。今は少しがに股ですが歩いています。この子も年のせいで白内障になってきました。今に盲目犬二頭と散歩する老婆(私)になるかも。
老々介護が続きます。

次号につづく


2020年9月号 追憶 出会いの人生に感謝  NO76

 午後から行ったビントーセンターは学校の一部が新しく建て増しできていました。一年前のことです。沢山の子供を学ばせるには教室も少なく清潔な調理室もありませんでしたので 建て増しできる資金を何とかしたいと考えました。
そこで考えたのが バザーです。皆さんにその旨を伝え、家に眠っている要らないものを一つ私に下さいな。あれ?どっかできいたような言葉?桃太郎か。
そしたら皆さんが眠っていた贈答品などを教室に持ってきて下さいました。有難いことに 一か月ほどで集まった。集まった!2トントラックにいっぱい集まりました。倉庫に並んだ商品に 100円 200円と値札をつけていきます。真夏だったのでエアコンのない倉庫では とても耐えられません。朝の涼しい時間だったらと5時に起きて2時間づつ頑張りました。すべて終わるに 1か月かかりました。その商品を9月の絵手紙教室の会場に運び バザーです。
生徒さんは本当にいいひとばかり!バザー商品を寄付してくださった上に今度はお客さんになって 沢山の買い物をしてくださいませいた。本当に生徒さんに感謝しました。
7日間ですべて完売!売上金は35万円+業者さんからの寄付5万円+そのためにためていた私のへそくり60万円 しめて100万円をベトナムに送ることができました。
そのお金で新しい校舎にパソコン教室 皆が集える広間 調理室 図書室ができていたのです。そこには(ジャパニーズ ママの会)と書かれてありました。
かかわってくださった皆さんを 勝手に「ジャパニーズ ママの会」となずけ 寄付をしました。ベトナムに行ったら これは自分の会だと 見てきてください。

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2020年8月号 追憶 出会いの人生に感謝  NO75

 私の里子トウエンちゃんは はにかみながらもニコニコと私に寄り添ってくれます。
4年生くらいのおとなしい女の子。とっても嬉しそうにいつも微笑んでいる。似顔絵を描いて渡したら嬉しそうに胸に抱いてくれました。驚いたことに この子の他に里子としていたイエンちゃんが赤ちゃんを抱いて会いに来てくれていた。学校を卒業してから結婚して生まれた赤ちゃん。ベトナムに孫ができましたー。嬉しいこと!
里親と里子の楽しいひとときでした。里子たちに美味しいものをご馳走したくってレストランを予約しておきました。子供たちがいまだ行ったこともないレストランでのお食事です。これは この日の夜のお楽しみです。
午後からは ビント-センター(学校)に行きました。このセンターには500人の子供が通っています。中には寄宿舎があり 親のいない子や家が遠い子が住んでいました。
この500人の子供たちに 皆さんから募金をして頂いたお金で ミルクとノートと鉛筆、風船をプレゼント予定。ストリートチルドレン友の会の人が一人分づつ袋詰めしてくださってリヤカーまで用意してありました。
私たちは真夏のサンタクロースのように リヤカーを引いてセンターに向かいました。
「ここを曲がったらセンターです」その声に合わせるように「大きな栗の木の下に〜」と日本の歌が聞こえて来ました。
足を進めると 運動場に500人の子供が並んで歌で私たちを迎えてくれていました。
私たちは子供たちの歌と拍手のなかに入っていきました。感動的でした。
子供たちに挨拶をし用意していった歌とダンスを一緒に踊りました。
さあ プレゼントの時間です。一人一人にプレゼントを渡していきます。みんな目を輝かせてもらったプレゼントをギュッっと胸に抱きしめます。とっても可愛い!私たちも汗だくでプレゼントを渡していきました。

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2020年7月号 追憶 出会いの人生に感謝  NO74

 皆さーん お久しぶりです。長かったですね。コロナ休暇!
皆 どんなふうに過ごしていましたか?誰にも会えず コロナ菌におびえ、自分が感染者にならないかしらとビクビクものでしたね。
展覧会も 泣く泣くあきらめました。とにかく今は命が一番大事とジーっと耐えていました。
そんな中 我が家は 一生に一度の大変な時期を過ごしていました。
癌で闘病中の夫 4月27日に静かに旅立ちました。
3月中頃とても体調が悪くなり入院。喉頭がんなのでいずれ食事がのどを通らなくなるので その前に胃ろうを作っておきましょうとのこと。その時 余命1か月程といわれました。それからは毎日娘二人とローテイションを組んで夫に付き添いました。
4月なかばから コロナで病院も厳重になり 面会客も入れなくなりました。夫に一目でもと会いに来てくださった友達も受付で断られてしまった。そのうち娘たちも入れなくなり 私一人で一日付き添っていました。疲れもピークになっていきた頃のことです。
夫は寂しがりやで 毎日朝早くに電話をかけてきます。「今日 早く来て!体がどうにもえらいで早く来て」毎日のことですが 声を聴くと家を早く出てしまいます。
8時半頃に家をでました。「早かったやろ!」って驚かしてやろっと。
ところが その日から 妻の私まで入れなくなりました。余命少ない寂しがり屋の夫を一人にしておくのは可哀そうでたまりません。三日目 何としても夫の部屋へと突入!なんやかんやで緩和ケアーの病院に転院して4日目未明のことです。
夫は娘二人と私が手を握り「お父さん 有難う 有難う」と声をかけ抱きしめている中静かに息を引き取りました。苦しそうな顔が穏やかな顔になっていきました。とても満足のいくお別れができました。今も毎朝 留守電が入っているような気がして起きるとすぐ スマホを見てしまいます。コロナのせいでお葬式も本当に家族だけで行うことになりました。参列できない方たちには 家に寝ているところに来てもらいました。何やかやと忙しい日は過ぎていきました。ふとした時に心から寂しーいと感じる時があります。そんな私の気持ちを察して娘たちが声をかけてくれます。娘のやさしさに感謝しています。
父さん あなたの娘たちは とても心の優しい子供ですよ。私を大切にしてくれていますよ。


2020年4月号 追憶 出会いの人生に感謝  NO73

 私の里子トウエンちゃんは はにかみながらもニコニコと私に寄り添ってくれます。
4年生くらいのおとなしい女の子。とっても嬉しそうにいつも微笑んでいる。似顔絵を描いて渡したら嬉しそうに胸に抱いてくれました。驚いたことに この子の他に里子としていたイエンちゃんが赤ちゃんを抱いて会いに来てくれていた。学校を卒業してから結婚して生まれた赤ちゃん。ベトナムに孫ができましたー。嬉しいこと!
里親と里子の楽しいひとときでした。里子たちに美味しいものをご馳走したくってレストランを予約しておきました。子供たちがいまだ行ったこともないレストランでのお食事です。これは この日の夜のお楽しみです。
午後からは ビント-センター(学校)に行きました。このセンターには500人の子供が通っています。中には寄宿舎があり 親のいない子や家が遠い子が住んでいました。
この500人の子供たちに 皆さんから募金をして頂いたお金で ミルクとノートと鉛筆、風船をプレゼント予定。ストリートチルドレン友の会の人が一人分づつ袋詰めしてくださってリヤカーまで用意してありました。
私たちは真夏のサンタクロースのように リヤカーを引いてセンターに向かいました。
「ここを曲がったらセンターです」その声に合わせるように「大きな栗の木の下に〜」と日本の歌が聞こえて来ました。
足を進めると 運動場に500人の子供が並んで歌で私たちを迎えてくれていました。
私たちは子供たちの歌と拍手のなかに入っていきました。感動的でした。
子供たちに挨拶をし用意していった歌とダンスを一緒に踊りました。
さあ プレゼントの時間です。一人一人にプレゼントを渡していきます。みんな目を輝かせてもらったプレゼントをギュッっと胸に抱きしめます。とっても可愛い!私たちも汗だくでプレゼントを渡していきました。

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2020年3月号 追憶 出会いの人生に感謝  NO72

 ベトナムの話に戻ります。
一人から始まった里親は28人となり里子は32人となりました。自分の里子に会いたくて、里子に会いに行く旅を企画しました。感動的な旅です。今回は2度目の旅の事を書くことにします。参加したい里親、又行ってみたい人を募りました。15人ほどの人が集まりました。学校を二つ訪問する予定でした。
子どもたちは500人。その中で里親が付いている子には里親がプレゼントを用意しましたが まだ里親のついていない子にもプレゼントを用意したくって私は考えました。
教室で生徒さんにお願いしてみよう。そして話しました。
「子供たちは皆栄養失調なのでミルクひと缶プレゼントしたいtのですが一人が一人の子供にプレゼントを頂けませんか?100円かかりますが?」皆「そんなんでいいんですか?」と言いながら募金して下さいました。中には「3人分」「5人分ね」と言って下さった方もありました。有難く60,000円程になりました。そのお金を先にベトナムの学校に送り500人分のプレゼントを用意して頂きました。ミルクひと缶とノートと鉛筆と風船が一人分として袋に詰められました。100円ほどでそんなに買えるのですね。
子供たちは里親に会えるということに とても喜び興奮状態で10日も前から 夜は眠れない、食事は喉を通らないほどだったそうです。そうかも知れない。まるで足長おじさんに会える感じだったんでしょうねー。遠い遠い知らない国の知らない人が自分を学校に入れ何年も勉強できる環境にしてくれているその人に会えるのですものね。
里親は里親でけなげに勉強している子供たちに会えるのをとても楽しみに旅立ちました。3月に出かけました。ベトナムは一番熱い季節で39度の毎日でした。
1日目は 里子のいるビンチュウセンター(学校)に行きました。ホウチミン市から川を1本渡ったら突然 町の雰囲気が変わりました。スラム街でした。小さい子供が古い鍋を差し出し「お金ちょうだい」とすり寄って来ます。添乗員が「目を合わせないで」と言いながら追い払っていました。小銭を用意した私に「切りがないですから。とにかく目を合わせないように 学校まで歩いて下さい」と急がせました。
学校に着くと 入口に20人ほどの子供が拍手で迎えてくれました。私たちの里子たちでした。お互いに写真しか見たことがないので 我が子の名前を呼んでみました。トウエン!トウエン!私の前にニッコリ笑った少女が、「トウエンちゃんなの?」二人で抱き合いました。感動的な親子の対面がいっぱい起こりました。

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2020年2月号 追憶 出会いの人生に感謝  NO71

 今月は あまりに嬉しかったので ベトナムのお話はお休みして、夢が叶った喜びを聞いて下さい。12月23日に聖火ランナー決定通知が届きました。
エッ?なに?えー!ヤッター!!驚いたり 飛び上がるほど喜んだり一人で大騒ぎ。
4月5日岐阜市を走ります。
これは 一緒に喜んでくれる生徒さんに話したいとラインが繋がっている人にご報告しました。皆 喜んで下さって、おめでとうのラインが降って来ました。

5年前 お・も・て・な・し・で東京オリンピックと決まったとき 大騒ぎで喜んでいるニュースを見ていた私は「ふーん、5年後か、私たちのオリンピックではないな。若い世代のお祭りだ」と思いました。でも すぐ後に「日本のお祭りに自分から引いてどうする!何かで参加して楽しもう!そうだ!聖火ランナーになろう!もし叶わなかったら開会式を見に行こう。ダメなら試合を見に行こう。行けなかったらテレビで応援しよう。なんて 日本イヤ世界のお祭りに参加しようと決めました。それを楽しめるということは 5年後も元気でいるということだから。
聖火ランナーの応募は7月いっぱいでした。7月4日から入院が決まっていたのでその前の日に2枠応募した。16日に退院したので 家のベッドの上でパソコンと格闘しながら2枠応募しました。
「私は 71歳 絵手紙講師です。沢山の生徒さんと 絵手紙を楽しんでおります。人口の半分は高齢者となっていく現在です。私が走ることによって 高齢者や若者にもいくつになっても夢は持つもの。夢をもてば叶う その日が来ると夢と勇気を持ってもらいたいと 走ります!こんな事を作文にして送りました。
教室でも 聖火ランナーになりたいと話していましたね。夢は一日も忘れず語ることが良いと思っていましたので どこでもしゃべりました。そのせいで皆にご心配をかけました。頑張って走ります。応援にきてねー!

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2020年1月号 追憶 出会いの人生に感謝  NO70

 ベトナムから3ヶ月に1回届くのは 子供からの手紙(日本語に翻訳してあります)
写真、子供の様子が書かれた先生からの手紙、ストリートチルドレン友の会の活動など書かれた新聞などが送られてきます。
里親さんたちが皆 言って下さるのは
手ごたえがあるボランティアですね。いろんな所に寄付をするけど どこにどう使われたのか分からないことが多いけど、この里親制度は喜ぶ子供の顔も見られる。この子とこの子の家庭を助けているのだということが手ごたえとして分かる所がいいね、と。
それを聞くとお世話した私が嬉しくなります。
子供は小1から8年生まで。就職が決まると 支援は終了になります。
勉強が好きで 先生になりたい、医者になりたいという子は 会から 進学を希望しているので このまま支援して頂けますか?とお尋ねがあります。
皆 OKして下さいました。しかし ベトナムの子供たちはその前にしなければならないことがあります。日本では考えられない事ですが ストリートチルドレンといわれる子供たちはほとんど 出生届や戸籍もありません。ベトナム人なのにベトナム人として数えられていない人たちです。ですから 国の学校に入れないのです。ところが戸籍が買えるのです。私たちから送られる3000円の中から少しずつためて買うのです。手には入れれば はれて その子はベトナム人となれるのです。高校も大学もいけるのです。もちろん学力も必要ですが・・・。
私の里子も大学を目指しましたが、落ちて就職しました。里子になり 字も読め計算が出来るようになったから 就職できたのです。その子とその家族の生活は改善されたことが 私の喜びです。
何人も私を卒業していきました。その度 私は新しい子の里親になります。小1位の小さい子を選びます。勉強は1年遅れると 取り戻すのに2年かかるそうです。3年遅れるとなかなか取り戻せないそうです。
せっかく里親がついても 勉強が難しく学校を止める子供もいます。彼らは大人になっても肉体労働にしかつけません。又そんな人が多いので 仕事にあふれ 貧しい生活の中 子供を学校に行かせられない負の連鎖になるのです。
日本は戦争などもありましたが 今はとても良い国だと思います。日本に生まれて幸せでした。

次号につづく


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